異端者の悲しみ

耽溺日記

旅の途中にパチンコを打つな

 今回の記事は思い出語りであるし、要旨は表題の通りだ。

 もう半年も前のことになる。私は西陣にある寓居にて一人の大男を数日の間、居候させていた。お金もなかった私達がすることはと云えば、水上勉よろしくに千本通をブラついて、日活の前にあるポスターを眺めて、喫茶店に入って“ウィットに富んだ会話”をしながら煙を燻らせることばかり。大男はと云えば、お金がないと言いつつもパーラメントの6mgを吸っていた。私が当時吸っていたのはハイライトだったか。

 三日目だったか、この日は特に理由もなく今出川通を東に歩いていた。鴨川、私が好まない川、を超えると出町柳、もう十分程歩くと京都大学の前辺りに出る。腹を空かせていた私達は、ナンとスープおかわり自由のキャッチに惹かれて入ったインドカレー屋で無聊を託つことに余念がなかった。

 カレー屋を出た後は喫茶店に入った様な気もするし、そうではなかった様な気もする。何はともあれ、これは本題ではない。“乞食でも抱き締めてくれる場所はないんか”などと妄言を吐きつつも心の中は梅雨時のコンクリート打放しの部屋の様に寒かった。ただ、ひたすらに歩いているといつの間にか鴨川の西岸に戻り丸太町通を歩いていた。共産党京都府委員会や府庁を目にやりながら彼はこう言った。

『やんちゃん、二十分ほど待っててくれへん?打ちたくなってきた。』

 私は三回ほど、賭け事は控えろという様な内容を言ったが彼は聞く耳を持たず、高級腕時計ブランドと同じ名前のパチンコ店へと吸い込まれた。ハイライトを喫みつつ待つが埒があかないことこの上ないので、彼がスロットに興ずる姿を横で眺めたが、何も分からなかった。宴が終わった後、もう2000円もスっていたそうだ。

 堀川通を北へ上りつつ、彼のパチンコ懺悔録などを聞く。私は何を話しただろうか。

 二人の行く末も、その日の一日も、何もかもが西陣の灯り少ない路地の闇に消えてしまった様だ。