異端者の悲しみ

耽溺日記

金陵假日

 夕方に上海駅を出た高鉄は順調に南京へと向かっているかと思われた。この鉄道での唯一の難点は隣の席が子連れだったことだろうか。私は子供が苦手であるし、それは私自身の幼児性の発露に他ならないとある人は言い、私も同感であった。順調と思われた高鉄は先に走る他の鉄道のトラブルによって、大幅に遅れて南京へ到着した。折からの倦怠感と臨席に子供がいたことの疲れもあって、宿までは地下鉄ではなく出租车を奮発した。ヒュンダイフォルクスワーゲンのタクシーに混じりスズキのタクシーが私の前に停まり、私は宿の住所を告げて後席に荷物を置いた。雨上がりだった様でタイヤが水を切る音が心地よく、あっという間に宿へと着いた。チェックインカウンターの若い男は親切だったが、窓のないドミトリーの部屋は私を憂鬱にさせた。倦怠感に苛まれてばかりいた上海の部屋にも窓はあったし、眺めもそう悪いものではなかった。夫子廟と呼ばれる界隈は、夜になっても賑やかだった。朝から何も食べていないことに気付いた私は目に入った食堂で、芋の千切りの様なものを食べた。味は悪くなかったが、なにぶん量が多かったもので、翌日は少しお腹が大変なことになった。食後に、水辺に腰掛けて、そばの煙草屋で買ってきたばかりの中華ボックスを燻らせた。中華という煙草は特段に美味しいわけでもないが、箱の見栄えの良さに時々買ってしまいたくなる魅力のある煙草だ。中華の煙を小川に映るネオンに溶かしつつ、心の底からピースやらハイライトやら日本の煙草の薫りを恋しく思った。ひとり旅は寂しいものだ。

 翌日、私はかねてより敬愛していた孫中山先生の墓陵へと向かった。ただ、上海から引きずっていた倦怠感を抱えた私には長い階段は耐えられるものではなかった。墓陵を諦めた私は市内にある旧総統府へと向かった。ここもまた、南京の一大観光スポットであるらしく、多くの人々で賑わっていた。ダメ元で出してみた日本での学生証で学割をしてもらえたことは嬉しかった。豪奢な庭と多くの建物、国民党の往年の栄華を偲ばせるこの場所で、歴史に想いを馳せるにはあまりにも感受性が摩耗していたようだ。お土産屋に売っていたOMEGAのロゴがついた置き時計だけがやけに印象に残っている。

 総統府を離れて街を歩いた。南京の街は金陵の時代からの城壁などがあって、なかなかに風情がある。大都市でありながらも、そこかしこにゆとりを感じられるこの街に、いつしか上海に倦んだ私の心は少しずつ癒されていった。少なくともこの街では一日の内に何人もの詐欺師に遭う心配はない。倦怠感は癒されたものの、特に行動的になった訳でもない私は、爺に按摩をしてもらう店でマッサージを受けたり、公園のベンチに座って午後のひと時を思い思いに過ごす人々を眺めながら、南京の街の名が付いた煙草を吸ったりした。明らかに南京に来てまでするようなことではない、自堕落な行いで二日間の南京での休日は流れていったのであった。上海よりは、この街が好きだ。北京までの夜行列車を待ちながら、そう思った。