異端者の悲しみ

耽溺日記

祈り足りない夜について

 正午すぎの成田空港、「北」から流れたわたしは東京ではいささか暑すぎる分厚いダウンを腕に抱えて、仕事道具と少しの着替えを詰め込んだ肩掛け鞄を肩に掛けて高知行きのフライトを待っていた。滑走路へ向かう中国南方航空の中型機、年末の休みに郷里へ向かうかと思われる家族連れ、クリスマス・イブの空港は流れ者のわたしをどこか感傷的な気分にさせた。


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 高知へ来るのはほぼ1年ぶり、何の仕事をして暮らしているのかわからない男に会うために。「愛人がみんな遊んでくれんくて、さみしいんや。。。」わたしもまた彼の愛人のような立場だし、「恋の街」での忘年会は流れてしまったし「副業」の方は病気で休んでいるし、暖かい街に行って旧交を温めるのも悪くない。22日まで「北の旅人」として流れていたが、夜の札幌で「北空港」発の航空券を予約した。

 東京での14時間の乗り継ぎ、新宿である若い男、この男もまたこの国の行く末を憂いている、と落ち合い夜を流れて気付けば中国のお菓子をたくさん手にしていた。旅の間のおやつには困らないぐらいに。この奇妙な流れについてはまた別の機会にでも。

 東京からのわずか1時間あまりのフライト?の、ちあきなおみの「夜間飛行」を聞いた。会社携帯を機内モードに入れて「流れ」ることから始まったこの暮らしが始まって、一か月が経とうとしていた、、、

 高知空港に降り立つと、シャンパンゴールドのセダンがわたしの元に近づいてきた。南国のうららかな冬の日差しにほっとしながら、後部座席に荷物を放り込み、たばこ臭い車内に乗り込んだ。

 60年代~70年代の昭和歌謡とUS90sのギャングスタ・ラップがごちゃ混ぜになったプレイリストを流しながら、市内中心部に向けて加速する。「ごめん」と行き先表示に書かれた路面電車とすれ違いながら、追い越し車線を走る。名曲「別れても好きな人」を歌ったムード歌謡グループと似た名のホテルを横目にするともうすぐ播磨屋橋。この街いちの繁華街だ。

 前回(ブログ記事参照)来たときはこの街の夜を流れて歌いに歌って過ごした。飲めや歌えの小さな騒ぎ。わたしたちは大騒ぎするには年老いてしまったから、むかしを懐かしみ、むかしの歌を歌い、けれども目だけはむかしと変わらずにギラつかせていた…

 繁華街を通り過ぎてセダンをパチンコ屋の屋上駐車場に停めた。古い旅館街をひとときさまよい歩き、播磨屋橋で地下のインドカレー屋へしけ込んだ…

 午後4時半、昼食にしては遅く、夕食には早い時間。わたしたちはこれからの夜の“流れ方”について語り始めた…

 クリスマス・ソングが似合わないイブの夜をどうすれば彩れるか、どうすれば“福音”を聞けるかについてを…………

(つづく)