異端者の悲しみ

耽溺日記

ソープにいけるぞ❣️と騙されて滋賀の山奥に連行された話

 滋賀の大津には“桃源郷”があるという。わたしがそんな話を聞かされたのは五月のことだったか六月のことだったか定かではない。例によって“親分”が京都へ来てくれることになり、わたしたちは親分を迎えて京都の古民家で飲み会をしていた。明くる日の昼、滋賀の雄琴温泉に行くという。“ソープにいける”のは嘘だとしても、温泉旅館に泊まって懐石に舌鼓を打ち安らかな気持ちで休日を過ごすことが出来ると考えていた。その夜は、宴の後に古民家で“ろくでなし”たちと共に眠った。

 

 明くる日の朝、“親分”の車に乗せられたわたしたちはまず、京都と滋賀を結ぶ峠道のはじめの方にある温泉へと向かった。ここで温泉に入るというわけではなく、飯も美味いのだそうだ。良い旅のはじまりに、わたしはほっこりとし、来たる雄琴温泉に向けて“潮が満ち”はじめてきていた。この旅にはどんな出逢いが待っているだろうか。ふと、わたしは妙なことに気付いた。普段はフォーマルな服装をすることが多いわたしの仲間たちが、どこかこの日は軽装だったのである。それに、荷物も心なしか多い。まあ大きな問題ではなかろう。この旅には二台の車が供されることとなった。一台は親分が乗るいつものトヨタ製小型車、もう一台は仲間の男が乗る国産のオープンカーだ。それら二台の車に分乗し、“滋賀の温泉”を目指すこととなった。

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 お気に入りの歌謡曲などを流しながら峠を走ること三十分程、滋賀は大津の街並みが眼下に広がってきた。バイパスを経由すればものの二十分程で雄琴には着くだろうと、この時のわたしは来たる“極上”の夜に胸を高鳴らせていた。しかし、車は雄琴温泉の近くで下道に入ることはなく北へ北へと走り続けるばかりだった。

「琵琶湖を一周してから温泉に行くんや」

 常識的に考えれば、これが苦しい言い訳であることは明らかなのだが、一縷の望みを捨てることの出来なかったわたしは、普段の彼らによる素っ頓狂な行動からその言葉を信じることにした。

 オープンカーは流石に速く、トヨタの小型車に乗っていたわたしたちはあっという間に置いて行かれた。道路側の家々が減り、山々が近くなった頃、

「ここで買い出しをしよう。」

とスーパーに小休止することとなった。買い物カゴには溢れんばかりの肉、野菜、菓子、そして酒。わたしはこの時分、森永のクッキーを好んで食べていたので、“ムーンライト”をカゴにこっそり入れることも忘れなかった。

 

 二台の車はやがて、滋賀の北の方にある田畑を抜けて、森へと突き進んでいった。わたしは深まって行く森の緑を眺めながら、己の中にある暗澹たる気持ちをも深めていった。いつ帰れるのだろうか?どのような場所に泊まるのだろうか?疑問が尽きる事はなかった。

 

 人気のないキャンプ場に到着した。ロッジが立ち並び、手入れされた芝生と木々はシティ・ポップのジャケットを彷彿とさせていた。午後が深まり、やがて陽の入りが近付くと、わたしたちはバーベキューの用意を始めた。バーベキューは肉も野菜も何もかもが溢れた充実したものであったし、そこには、あの“色男”が持ってきたコイーバすらあった。キャンプ場の他のロッジには人影は見えず、オープンカーをステレオ代わりにして流れる音楽の中で、世界がわたしたちだけの為にあるかの様に錯覚した。

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 バーベキューの熱気も冷めやらぬままに、部屋へ戻ったわたしたちは、“あいのり”を見ながら好き勝手なことを言って愉しんだ。わたしと“ろくでなし”たちの旅も“あいのり”の様なものと言っても差し支えはなかろう。そこには漢臭い欲望や煙草や酒の香り、歌声はあっても、“映える”ラブ・ロマンスは一切存在しないのであるが…

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 翌朝、旅はいつもそうであるが、その日もわたしは早く目が覚めて、夏の訪れを感じさせる朝の光の中でニカラグアのシガーを燻らせた。“拉致”や“騙し合い”から旅が始まるのはわたしたちの半ば常識ではあるが、結局来てしまうと悦(たの)しいところが一番に厄介だと思われた。わたしが部屋に戻りふと外に目をやると、グランド・セフト・オートのギャングたちがいた。きっとわたしが逃げ出さない様に手配されたのだろう。この山奥から、いつもの小型車に乗せてもらう以外にどうして脱出する術があるのだろうか泣。どうやら、無事に帰れそうということに安堵をして、車に乗り込んだ。どうやら、今日こそ“温泉”に行けるそうだ。オールディーズ・ナンバーを流しながら御機嫌に走る車の中で、旅の疲れを癒してくれる温泉への期待は高まるばかりだった。

 二台の車は温泉とは何ら関わりのなさそうな田んぼの畦道に停まった。

「ここに温泉はほんまにあるんかいな?」

「まあ、付いてきいや、もうすぐ見えてくる。」

「見えたやろ」

 

 

「田んぼしか見えへんけど泣」

 

 

 

 

 

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どうやらこれが“温泉”らしかった。美しいねーちゃんも懐石料理も温かいお湯も何も見当たらなかった。わたしは“温泉”と騙されたことに対する憤りよりも彼らがどうしてこうも手間の掛かる悪戯を仕掛けたのかが分からずに困惑をした。たしかにこれは“温泉”の中でも“鉱泉”らしく、小さな風呂というよりは野菜置き場には滋味のありそうな“何か”がびっしりとへばりついていた。泣 

 これに飽き足らずもう一つの“温泉”を見にいった後、高浜の中心街でお昼を食べた。お蕎麦と天丼は美味しく、高浜の街にも思っていた以上の風情が感じられた。

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 「泳ぎたい」

 ある男のひとことから、琵琶湖の北部へと向かうこととなった。半グレ(の様に見える人)たちが船遊びをする横で、車を降り、一人が湖に入り、他は湖畔に寛ぎ、親分は車の中で昼寝をしていた。これまでの総ての憂慮が湖に溶け込んでいくかの様な優しい午後だった。

 

 湖に遊ぶのも飽きた頃、いよいよ雄琴温泉へと向かった。陽が低くなる中で大津の方へと車を走らせた。日帰り温泉で汗を流してから帰ろうという魂胆だった。増える車の量に“まち”へと戻ってきたことに安堵していた。雄琴温泉の温泉街に差し掛かると、わたしは夢と幻に消えた“大人の温泉街”を眺めては涙を流した。煙草と酒と嘘を覚えて人は大人になっていくのだ。

 

 日帰り温泉の駐車場に車を停めて、喫煙所で一服をし、それぞれの今後の予定について話合ったが、誰も日帰り温泉に入る者は無かった。温泉に入るのには疲れ切っていたのだろうか。

 そうして、旅は終わりへと向かい、わたしたちは“おごと温泉”駅からJRに向かい、住み慣れた京都の街へと戻っていった。

 わたしが本当に“雄琴温泉”へ行ける日がいつになるのかは誰にも分からない。

 

 

 旅を終えてから少し経った頃、Googleで田畑の中の“温泉”を調べてみた。意外にも口コミがあり、その中のひとつに“馬鹿になるならココ一択❗️”といった様な内容があった。ひどく納得をした。この“温泉”で馬鹿になったことが、その後のわたしたちの旅に繋がっていくことは言うまでもないことだ。

 

終