異端者の悲しみ

耽溺日記

金沢の珈琲は薄い

 その夜の雪はそう激しくなかった。おれたちは“極上”の夜を夢見ながら、まだ見ぬ女性(ひと)のことを考え、口にして凍てつく北国の冬を暖めようとしていた。“色男”だけが本当の女性の話をしていた。先輩、というよりは“親分”と待ち合わせて、片町の外れにある古(いにしえ)の青線地帯へと向かった。今では個人経営の飲み屋やスナックが連なるこの一帯は微かな往年の色気を感じさせてくれて心地よい。そんな一帯もまた、店は閉じられているばかりだった。青線地帯のメイン・ストリートを抜けると、おれたちの背の高さぐらいあるかないかのバラック飲み屋街が現れた。飲食店街組合が設置している公衆便所の方が立派なぐらいのバラック街。これは悪口ではない、むしろおれの好物だ。f:id:yangchangpong:20220224155842j:image

真偽の程は全く以て定かではないが、元自衛官といった雰囲気を漂わせるマスターの店に入った。“親分”以下おれ達4人が入るといっぱいになってしまうようなお店。案の定、警察や自衛隊関係者のボトルなどがキープされており、色気漂う街と公権力との一言で言い表せられない仲を暗示させていた。

 この店を出てから、金沢といえば、の地下駐車場を改装した様な中華屋が閉まっていたので近くの中華屋へと入る。紹興酒、キムチ、炒飯、餃子、ハイボール青椒肉絲、、、といったお馴染みの面々と共にショパンも居た。一体どこの誰が掘りごたつのある大衆中華でショパンが流れていることを想像出来るだろうか?北国の街はいつもおれ達の想像を超えてくる。f:id:yangchangpong:20220224160448j:image

 中華屋を出てから“親分”の舎弟の様な男たちと合流した。“親分”はそのカリスマ性故に、どの街へ行っても舎弟たちがいる。寒空の下を随分の間“パトロール”をした。どこも開いていないことと、“パトロール”されるのはおれ達の方だという厳然たる事実のみを得て、ホテルで飲むことにした。この旅も、おれにとっては“ジョブ・ハンティング”の一環でもあったので、男たちから“ビジネス”の話を伺った。彼らは揃いも揃って“ワイズ・メン”であった。その夜は、街の全てが静まりかえって雪の気配だけが漂う頃になって、ようやく眠った。

 翌朝、旅はいつもそうだが、思ったより早く目覚めモーニングへ行くことにした。近江町市場近くの“あの店”は開いてなかったが、何も言わないうちからモーニングとブレンドコーヒーを出してくれる店を見つけた。暫し一日の計画を練った。色男たちは寿司を食いに行き、おれは蓄音器博物館とジャズ喫茶へ行くことにした。“極上”の音楽に触れるというルーティンは旅の間も欠かしちゃ駄目だ。

 近江町市場のある交差点から徒歩十分程の蓄音器博物館は金沢に行くと必ず訪れるお気に入りの場所だ。世界中の蓄音器が揃っているし、実演もある。LPレコードを自由に聴けるコーナーが特にお気に入りだ。寝不足で微睡つつ、チャイコフスキーなどを聴いた。外の雪と相まって、これから起こる“事件”を想わせる映画のワン・シーンの様だった。

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 お昼を過ぎ、一度、昼食を摂りにジャズ喫茶へと向かった。ここにあるのか、という立地にもまた、この北の街の奥ゆかしさを感じさせられることとなった。この庭の奥に誰が金沢一のジャズ喫茶があると思うだろう?

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 はじめての店は誰だって緊張する。それが奥ゆかしさを感じさせられる立地のジャズ・スポットなら尚更だ。関西のジャズ・スポットによく置いてあるWAY OUT WESTのフリー・ペーパーが置いてあることにホッとしつつ、絶品のカレーに舌鼓を打ち、痺れた舌を珈琲と煙とで癒してあっという間に時間は過ぎ去った。

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 14時からのレコード演奏会に色男たちと待ち合わせていた。雪の街を急ぎ足に戻ると、レコード演奏会が始まった。エジソンの円筒型レコードにビクターの最高級プレイヤー、ブランズウィックの木製弦楽器の様な生々しい音を奏でるプレイヤー。ドリス・デイ美空ひばりピザレリにカザルス、ペレス・プラード楽団と様々な音楽を愉しませてもらった。その後はもう一度、LPコーナーへ。ジョージ・ベンソンのThis Masqueradeが色気たっぷりにおれ達の耳に残り続けた。

 その後、あてもなく金沢城公園の中を彷徨った。幼子たちが雪にはしゃぐ様におれ達は雪玉を互いにぶつけ合いながら戯れた。少し先が霞んで見えない程の雪の中を香林坊のミスター・ドーナツを“あて”と定めて歩き続けた。f:id:yangchangpong:20220224164256j:image

 ミスター・ドーナツ香林坊店は何と三階まであって、テナントの入るビルは“ドーナツ・ビル”という。甘いものと珈琲に目が無いおれには夢の様なお店だ。思い思いのドーナツを選んで三階へと。至れり尽くせりのこの店は、喫煙所でさえ設けられている。おれは煙草にも目が無いから、男達で煙草を吸い、何故かBGMの流れぬ席で珈琲をおかわりしながら凍れた身体を暖めた。そして、もう一人の“極上”の男を待った。“極上”の男はいつでも遅れてやってくるものだ。既定の時間から45分程が過ぎ、男は現れた。おれは“遅れたんやからドーナツ一個ずつみんなに買うてくださいよ”と詐欺師同然の手口でドーナツをねだった。この日食べたドーナツは古のアメリカ人と同じくらいの6つである。男と合流し男のクルマでスーパーへと向かった。雪深い街のスーパーは大変に混み合っており、おれが飲もうと籠に入れたオールドの瓶で予算オーバーした。色男は、その日が“マリリン・モンロー”とのデートだったので、彼を送って、女が来るのを張り込む様にして待った。二人が無事に合流したと思われる頃、金沢で働く“極上”の男のマンションへと向かった。

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 マンションで乾杯をし合い、“桃鉄”で遊ぶことになった。思い思いの不謹慎な名前をつけてゲームを開始したものの、冬の北陸での“極上”の旅に比べれば面白い筈もなく、おれは直ぐに“斎藤さん”という見知らぬ人と電話するアプリで遊び始めた。数人の女性と“ユーモアたっぷり”のお話をして満足した頃、ほかの男達もおれと同じアプリを始めた。こうなると、まるでテレアポ・センターの様相だ。夜はそうして深まって行き、“色男”は明け方までホテルへ戻ってこなかった。ただ、まだこの頃は平和だった。来たる日に起こる、恐ろしい事態をまだおれたちは知らなかった。(つづく)