異端者の悲しみ

耽溺日記

男と女の哀しみが雪に変わる街〜終章〜

 “運命”の朝は静かに訪れた。明け方に帰ってきた色男に敢えて何も問わずに朝飯を食べる場所を探しに街へ出た。週末なので多くの喫茶店が開いていない。答えはやはり“ミスター・ドーナツ”もう三日連続だ。ドーナツはいくら食べても美味い。言葉少なにおれ達はドーナツを頬張り、金沢で飲んだ中では抜群に濃い珈琲をお代わりした。珈琲は黒ければ黒い程に良い。ジャズと一緒だ。

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 雪の残る街で“親分”を待った。親分は“あの街”から金沢へ今日も来てくれた。親分と昼飯を食べた。おれ以外は海鮮、おれは天ぷら。80〜90sのオリコン10位くらいの曲が流れる寿司屋はこのご時世にも関わらず大層混み合っていた。親分が口を開いた、おれ達を何処かに待たせて“友人”にクルマを手配させると。この言葉の“意味”を読み取りたくない気持ちとは裏腹に、“意味”がすぐ脳裏をよぎった。誰かが言った、“あの街”の雪は男と女の哀しみの涙が、雪に変わったものであると。

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 贅沢な昼食に舌鼓を売った後、これからの運命から気を逸らすかの様に蓄音器博物館へと向かった。二日連続のレコード演奏会では、館長から顔が覚えられていた。「昨日は何を流しましたか?」の質問に「ドリス・デイのSHANGHAI!」などとはしゃぎながら答える三人組の男達は家族連れの小学生の坊やには良い反面教師となっただろう。LPコーナーへ行き、ラフマニノフやら安全地帯やらを聴いた。おれたちはショパンのワルツを聴きながら窓辺から雪の街を見下ろす色男の姿に松本清張原作映画の影を感じた。“運命”の時は刻一刻と迫っていた。金沢の街での美しい時は、これから起こりうる男と女の哀しみが雪に変わる街へと備えられた国道8号線の様なものだった。そう気付いた時にはすべてが過去だった。

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 雪がすっかりこの街を覆い尽くし、雲が雪を降らせることにすら飽きた頃、一台のクルマが駐車場でおれ達を待っていた。何の変哲もない小型のマツダ。大きな男ばかり4人と美しい女1人を乗せたマツダは、8号線ではなく、高速道路をひたすら走り続けていた。BGMもない静かな車内には運命から気を逸らすかの様に吐くおれ達の冗談だけが時折、聞こえていた。

 高速道路は果てしなく白く続き、やがて下道へと降りた。県庁所在地であることを冗談であるかの様に拡がる白い田畑を見ながら、この街がきっかけとなり流した数々の涙を思い返していた。やがてマツダは街の方へと近付いた。人生でこの街を訪れることは無いだろうと考えてはいたが、もう四回目になるこの街の中心部の道路は大体見覚えがある。やがて、アジトの駐車場にマツダを滑り込ませ、見覚えのある部屋へと“戻って”きた。おれは“酔いどれ”だから、この街でおれが愛しおれを愛してくれた女の涙で水割りを作るかの様にオールドを煽った。旅のルール、絶望してはいけない。おれ達三人がこの街から教えて貰った一番大切なこと、を何度も反芻しながらオールドで身体を暖めた。

 ハイヤーを呼んだ。おれ達の様な身体のデカい男の集団にお似合いの国産高級ミニバン。この街一の繁華街へと向かう。しかし、ここでも目ぼしい店は開いていなかった。ようやく入った店は、有線で流れる音楽のセンスだけがやけに良いアメリカン・カフェ・バーだった。流れる曲名を当ててはにやにやと笑った。

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 どこか煮え切らない気持ちを残したまま、人気の無い商店街を抜けた。フィリピンのママが開けている、店内に聖句が貼られた“極上”のスナックへと向かうためだ。道すがら、おれ達はまた幼子にかえって雪玉をぶつけ合った。無邪気なこの時間がいつまでも続けば良い。哀しみの街にいることを少しだけ忘れさせてくれるそんな瞬間。

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 この看板や建物の雰囲気で察しのつく方も多いと思うだろうが、この街もまた、以前は青線であった。どうもこの旅は青線と縁がある様だ。いや、おれ達好みの酒場がある場所は決まって青線だったから、この旅に限った話ではない。フィリピンのママが開けるスナックは、スナックらしからぬ照明の明るさも特徴だ。勿論のこと、ママも明るい。この街の太陽の様なお店だ。当然、親分はこの店にボトル・キープをしていた。いいちこの水割りは飲み易く、少し甘い水の様な感覚で飲み続けていると、おれはへべれけになってしまった。へべれけになりつつも“悲しい色やね”などを歌い、遠い関西の地を思った。今回の旅では一体、この街にいつまでいるのだろう?そこにいる誰もが知らず誰もが目を背けるこのことを思った。

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 おれ達はタクシーで、色男は歩いて帰ると言った。これがこの街でいつも起こる悲劇のひとつになることを、この時は誰も知らなかった。「色男はあの後、ママを口説くんやろうな。」などと冗談か本気か図りかねる冗談を言いつつアジトに着いたおれ達は、色男も帰ってくることをすっかり忘れて、泥の様に眠りこけてしまった。

 翌朝、朝方になってようやく部屋に入れた色男が不機嫌そうにまだ寝ているのをよそにして、喫茶店へと向かった。あの一件は本当にすいませんでした。空は青く、高く、澄んでいた。珈琲は金沢と比べて濃く、地方紙には訃報と地域の幼児たちの紹介が載っていた。新聞に載っている事柄で気になることがあれば議論するのもおれ達が喫茶店へ行く時にするルーティンだが、生憎その日はそれに値する事柄は何も無かった。この街での“三日目”の様に何もない。しかし、恐ろしいことにこの日はまだ“二日目”だった。

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 喫茶店でのモーニングの後、アジトへと戻った。色男が起きていたので喫茶店へと彼を誘った。旅先で“豊かな”時を過ごすなら良い喫茶店を見つけるに限る。財布の中が寂しいおれ達、特におれは、親分がいないと酒は飲めないし、暖かい部屋で歌も歌えない。それなら喫茶店へと行くのみだ。おれ達は住んでもいないのに片手で数える以上の数は絶対に来ているお気に入りの喫茶店のソファに腰を沈めた。イージー・リスニングも耳に心地よく、何紙もの新聞と週刊誌を舐める様に読み続け、グラビアを只ならぬ情念の篭った目で見つめ、開いてない袋綴じを開けるかどうかを迷った。そうだ、喫茶店の話をする前に、珈琲よりも色の濃いスープが入ったラーメンの話は避けて通れない。これがこの街の名物だそうで、はじめて食べた日は食後の珈琲の味が身に滲みた。半ば怖いもの見たさで今回も食べてしまった。澱の様な後悔はいつ果てることなく口の中に残り続けた。このラーメンの良い点を挙げるとすれば、極度に味が濃いので、食後の珈琲や煙草が格別に美味いとい点である。珈琲や煙草の前菜としての意義以外をこのラーメンに見出せていない。

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 黒すぎるラーメン、喫茶店と来ればこの街鉄板の黒すぎるジャズを聴けるバーに行きたいところだが、生憎時間が早かった。そうなれば、残された娯楽はただ一つ、“賭博”だ。

 駅裏の賭博場に駆け込んだおれ達はポスターに写ってるねーちゃんが親分に似ていることなどを笑いながら、嬉々として台の前に座った。おれは人生以上のギャンブルはしたくないという建前を語りつつ、寂しすぎる財布を庇う様にして喫煙所で勝負師たちを待った。

 勝てない戦いに怒った中年男がディーラーによってバックヤードへ連れて行かれた頃、勝負師たちは戻ってきた。苦い顔をして苦い煙草を吸う、甘い時を求めた旅がこのままで良い筈が無い。気を紛らわせるようにザ・ドリフターズのコミカルな名曲たちを口ずさみながらアジトへと戻った。

 アジトへ戻った後、もう少し時間があったのでマクドナルドで珈琲でも飲もうという話になった。おれと“あの街”のマクドには少なからぬ因縁がある。去年の冬に“あの街”を訪ねた時、何日目だったかは忘れたが、心が折れかけそうになっていた時、飯をどうするかという話になった。おれはサイゼリヤを主張したが、“彼ら”はマクドを主張。バーガー・ショップはなるだけバーガー・キングへしか行かない主義のおれは執拗なマクド主張に対してキレてしまった。そんな話はひとまず置いておこう。おれたちは駅の中にあるマクドへと向かった。珈琲を頼む。奥の方の席へ座った。おれたちは“いつものように”くだらない冗談を言い合った。親分からの連絡も来て少しだけ場が暖まったその頃、事件は起きた。おれが肘で珈琲カップを弾いてしまったのだ。少し前にクリーニングへ出していたコートが濡れてしまったが、スーツは死守することが出来た。店員さんに謝りながら掃除をしてもらい、新しい代えの珈琲を頂いて一息つき、追加でアップルパイも食べた。この事件に関して、おれが溢した中でもカップに残った珈琲を啜ろうとしたという説があるが真相は“藪の中”ということだ。マクドはこういった予測しない悲劇が起こりがちであるから苦手だ。

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 「温泉へ行こう」親分が戻ってきてそう言った。おれは温泉という言葉も信じない。ワイズ・メン共に温泉旅行と称して森の奥の山小屋へ連行された挙句に、野菜洗い場を温泉だと言われたことがあるからだ。しかし親分が行こうと言う場所へはついて行くこともおれたちの大切な仕事のひとつだ。温泉と言われて連れて行かれた場所は確かに温泉ではあったが、この街には淡水化技術がない様で、お湯は塩の味がよく滲みた。湯から上がっておれはソフトクリームを食べ、親分たちはマッサージを受けた。身体もほぐれた頃、パキスタン料理屋へと向かった。以前は明らかにスシ・バーであったろうという外観のロードサイドのパキスタン料理屋は、おれ達の腹を満足させてくれた。この街で一番美味いのはパキスタン料理、そう考えても何ら間違いはあるまい。おれ達は余りに長く“愛し合う”様に旅を続けたから、もう何も新たに話すことは無かった。古いインターネット・スラングを口に出すなどの極上とはとても言えないコミュニケーションで言葉少なに笑った。隣の大学生達にも嘲笑(わらわ)れた。大学生達の乗っていたクルマが親分のよりも良いクルマだったが、親分の度量はクルマ如きに左右されるものでは無いという当然すぎる結論を得た。

f:id:yangchangpong:20220224190941j:image富山県の形をしたナン(汚い)

 黒いラーメン、黒い珈琲と来ればやっぱり黒いジャズだろう。ジャズも珈琲も黒ければ黒い程良い。ラーメンは黒く無いほうが美味い。若い頃の志村けんを思わせるマスターが居る極上のジャズ・バーのボックス席、恋しくて憎らしい○○(©︎ドリカム 大阪LOVER)の夜を惜しむかの様にグラスを傾け、マスターにリクエストをした。エロール・ガーナーサラ・ヴォーンジュリー・ロンドン、そしてナット・キング・コール。どれもさして黒くない。黒すぎるジャズも良いが、黒すぎるジャズはお酒の味を分からなくしてしまう気がする。おれ達は親分への愛や“ビジネス”の話や、愛おしい“極上”の女性達についての話を飽きることなく続けた。色男はこの場を愛おしむ様に、財布から福澤諭吉が描かれた紙切れを出した。この夜もいい夜だった。この場所がある限りはおれ達はこの北の街を嫌いになることは出来ない。勿論、親分が居るからというこの一点のみに於いてこの街をも愛していることは変わらない。

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 極上の夜を噛み締める様に悦(たの)しんだ翌日、おれ達はこの夜、この街を離れることを心に決めた。おれは昼から“ビジネス”があった為、お留守番をした。そうして、帰ってきた男たちと共に中華料理を食べに行った。この街で最後になるかもしれない食事、それはそんな感傷を許さないかの様に大盛りだった。傘を差して煙草を吸う、幾つになってもこの男たちと、極上の女性を訪ねて旅を続けたいものだと思った。

 おれと“ジョージ・クルーニー”は23時発の大阪行の夜行バス、親分と色男は金沢へと去っていった。色男の用事はひとつ、マリリン・モンローとの“決着”をつけに行ったのだ。その結末を未だおれは知らない。沈黙だけが語ることも沢山あるだろうから。

 バスは見慣れた梅田のターミナルに着いた。周りのビルの大きさと数に酔いながら、煙草を吸える場所を探して路地裏へ迷い込んだ。朝焼けの中で一服、ジョージ・クルーニーは見慣れた街角へと消えて行き、おれは次の“ビジネス”に向けてベネフィット・アイランド行きのグレイハウンドを待った。